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2010年9月 8日 (水)

403 「謝辞」論

先日、このブログでチラッと触れた「謝辞」の件、
ちょっと考えてみたいと思うのであります。

謝辞って、本のまえがきかあとがきに、
「○○さんに感謝します」
と書いてある、あの一文のことですね。
もちろん、書いてない本も多いわけですが。

この○○には、多くの場合、

・担当編集者の名前か
・ご家族(特に配偶者)の名前か
・資料(情報)協力者の名前か、

がはいるようです。
(全部書く方もいらっしゃるようですが)

上記のうち、資料協力者に感謝の気持ちを書く、というのはわかります。
その方が存在しなかったら、この本は書けなかっただろう。
そういう人へのお礼です。

それから、故人、例えば大好きだったおばあちゃんとか、
作家志望のきっかけとなったおじいちゃんとか、
そういう方たちへのお礼の言葉も、わかります。

でも、担当編集者へのお礼、というのは、
どうもしっくり来ないのですよ。

何でしっくり来ないんだろう、と自問してみて、
うまく言葉にはできないのですが、
どうやら二つの理由があるようです。

ひとつは、楽屋のやり取りを表に出しているような違和感があるから。

著者と編集者のやり取りって、
要は楽屋の中での会話であって、
それをお客さんに見せる必要はないんじゃないの?
という気持ちが強いんですね、たぶん。
そういうやり取りは直接やればいいじゃないか、
お客の前で見せるなよ、と思うのであります。
(そんなわけで、実は配偶者への謝辞というのにも、違和感があったりします。
よっぽど会話のないご夫婦なんですか、と思うわけで)

もっとも、「楽屋」というたとえに絡めて言うならば、
楽屋話が抜群に面白い芸人さん、
というのは、確かに存在します。
同様に、編集者への謝辞が抜群に面白くて(笑える、という意味じゃなく)
芸になっているのならば、
それはアリ、だと思います。

しっくり来ないもうひとつの理由は、
実はたぶんこっちのほうが大きいのですが、
「編集者への謝辞なんて活字にすべきでない」
先輩に教わったから、です。
今の会社に入社した直後、当時の部長だったか編集長だったか、
その辺は曖昧になってますが、
そういった謝辞は削るように、指導されたのです。
で、「三つ子の魂」ではないけれど、
その教えがいまだに染み付いているんですね、おそらく。
(したがって、上記の一つ目の理由は、後付けという気が我ながらします)

で、そういう風に先輩が教えたというのは、
「編集者は黒子のような存在であるべき」
という社風が、弊社にあるから、だと思います。

当然のことながら、
この辺は出版社によって考え方が違うと思いますし、
編集者によっても違うはずです。
謝辞なんて要らない、というのは、
当然の事ながら私個人の主観でありまして、
それが正しいとか、多数派だとか、
主張するつもりはまったくございません。
また、謝辞を書いている作家さんや、
謝辞を言われている編集者さんを批判するつもりもまったくありません。
あくまでも、くどいようですが、私の主観。
その点は誤解なきように、お願いします。

このブログ、ありがたいことに、
何人かの書籍編集者さんが読んでくださっているんですが、
謝辞って、どうですか?

ご自身への感謝の気持ちを著者が後書きに書いたとして、
引っ掛かりを感じます? 逆に削るほうが失礼? 別にどうでもいい?

本好きの方にもお聞きしたいのですが、
お読みになっている本の後書きで、著者が編集者へのお礼を書いている場合、
直接やり取りしろよ、と思われます?
ほほえましいですか?
別にどうでもいいですか?

というか、こういうことにこだわる私のほうがおかしいのかな。

なんて、あれこれ書きましたが、
「編集者への謝辞は削らせてもらう」
というのはあくまでも基本線でありまして、
作家さんの強い要望があれば、
小社でも謝辞が活字になるわけでして。
この辺は、特にこの数年、
だいぶゆるやか、というか、曖昧になってます。
実際、私が担当させていただいた本の中にも、
私の実名が出てくるものがあるような気が…。


そういえば、まだ小説も担当していた頃、
私が担当させていただき、小社から出した本が、
数年後、他社から改めて出ることになったことがあります。
(その辺の経緯は、まあ、大人の事情です。
ごくごく簡単に言えば、作家さんとの間にトラブルが生じたわけです)
で、その他社さんの本の後書きに、
最初の担当者である私の謝辞が書かれていて(当然、実名)
嬉しいような困ったような、複雑な気持ちになったことがあります。
ま、それはまた別のお話。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私は長年編集の仕事に携わってきた者です。今回のテーマ「謝辞」についてひとこと。
編集者は「黒子」であり、名前を出すものではないという考えに、私は賛成です。
雑誌なら「奥付」に名前が載ることがあると思いますが、これで十分でないかと思います。
また書籍ですと奥付はやや堅苦しい場合が多いので、そこに編集者の名前があるのは違和感があります。
そこで「あとがき」ですが、これも個人的には不可思議な気分です。
「お礼だから辞退は失礼」も一理あると思いますが、「黒子だから出さなくていい」が私の考えです。
さらにもうひとつ。
著者は好意で名前を出してお礼を言ってくれたのだとしても、編集者にとってはありがた迷惑の場合も。
お礼とはいえ、氏名も立派な個人情報。出版社と仕事の内容が特定されて本名まで、となると微妙なものがあります。
最近音信不通の同業者に知られる事もあるでしょう。良好な関係の同業者ならならともかく、そんな人ばかりではない筈。
私は個人情報保護の立場からも、あとがき等の編集者への謝辞は無用にしていただきたいと考えます。

コメント、ありがとうございます。
謝辞に関するコメント、他社の編集者さんからツイッターやメールでいただきました。
今、その過去分を検索するのが大変なので記憶だけでざっくりとしたこと書きますが、
「謝辞、あってもいいんじゃないの?」というご意見だったような。
つまり、私が気にしすぎのように思いました。
それから、編集者から著者さんに謝辞を書いてくれというリクエスト、
これはどうなんでしょう、よほど親しくないとできないと思います。
冗談の一種というか、なんというか。
少なくとも私は言えませんね。

投稿したつもりが、UPされなかったようなので再度・・・

私も一つ気になったんですが、
「謝辞論」に関して、ツイッターやメールなどで
感想をいただいたと書かれておりました。
どのような内容だったのでしょうか?

さしつかえのない可能な範囲で、ちらりと教えて下さいませ。

編集者さんから、「謝辞を書いて下さい」と
頼まれたと言われている著者を見かけました。

懇意の間柄で、冗談ぽく言われたのかもしれませんし、
状況はよくわからないのですが・・・・

また、謝辞を書いてもらった場合、
「ありがとうございます」のお礼というは、
一般的なご挨拶の範囲なのかもしれないとも思い、
そのご挨拶で「書いてもらえると実はうれしいのかも・・・・」
というのは、違うのかもと思ったりしました。

興味深いお話、本当にありがとうございます。
ブログに書いていることは、あくまでも私個人のごく狭い体験ですから、
記事を読んでくださった方によって補完していただけること、
とてもとても嬉しいです。

家族に対する謝辞のご指摘、興味深いですね。
特に女性の場合、それはあるかも。
それに、テーマによっては文字通り、
編集者に謝辞を言いたくなるのかも。
と思いました。

小島さんの本、不勉強でまだ読んでませんでした。
私も拝見することにします。

そして、小島さんのようなテーマの本を、お書きなのですね。
今後もよろしくお願いします。

謝辞に対して先のような考えをずっと持っていたのですが、
それを覆させられることがありました。

それは、はじめて「あとがき」のある本を出した時のことです。

前出のような謝辞に対する自身の考えを編集者さんにお話ししたところ、
「そんなことは、気にされなくて結構ですから、ご自由にお書きください」と
おっしゃっていただきました。

当初の信念を貫いて(笑)謝辞を省かせていたくか悩んでいたところ、
こんな話を耳にしました。

著者は名前を残すことができる。
しかしずっと黒子を通してきた編集者が唯一、
世の中に対して自分の仕事を足跡として残せる場が、
「あとがき」だという話でした。
(どこで聞いたのかは忘れてしまったのですが・・・・)

その話を聞いて、確かに・・・
と考えさせられたのでした。

そして、自分なりに考え、
ありきたりにはならない謝辞を書いたつもりです。
(結果は??? ですが・・・・)

そしてそのあとがきをお渡ししたあとに、
編集者さんから、「謝辞をお書きいただきましてありがとうございます」との
お言葉をいただいたのです。

そのようなことがあって、
謝辞は必要なものなのだという認識に変わったのでした。

編集者さんも、本当は書いてもらえると
うれしいんだ・・・・と思うようになりました。

著者の立場からすると、書かなくてもよいと言われても、
積極的に書きたいと思わされる本というのがあります。

それは、長年、温めていたテーマで
なかなか、そのテーマを取り上げていただくことができなかった内容を、
企画として取り上げていただいた時です。

幸いなことにそのような場合には、
あとがきが用意されておりました。

今回、新たなテーマで出版することになりました。

あとがきのお話になった時に、
「謝辞を入れる入れないは、著者の意向がありますので、
 お任せ致します。入れるなら3~4行ぐらいで・・・・」

と言わたのでした。

今回のテーマは、ありきたりの謝辞にはしたくないと思わされるテーマだったので、
「3~4行しかもらえないの?」と思ってしまったのでした。

そこで謝辞について、みなさんはどのように考えていらっしゃるのだろうと思い、
こちらにたどり着いた次第でした。


家族(配偶者)への謝辞もについては、はぎはらさんと全く同じような考えを持っております。
配偶者だけでなく、子供、両親などただ名を連ねただけの謝辞に、
違和感を持っておりました。

ただ最近感じさせられているのは、はぎはらさんと逆で、
配偶者との家族円満をアピールしていて、それがあると、
著者の温かさ、優しさを読者にアピールしているのではないかと
感じております。

女性の家庭実用書系は、特にこの傾向が強い気が致します。
家族への謝辞がないと、冷たい印象や、ここは家庭不和?
と思われているような・・・・・(笑)
世の中の流れとして、入れた方がいいのなかな・・・・と
思わされてしまうのでした。

そんな中、はぎはらさんのようなご意見を拝見し、
ほっと致しました(笑)


というわけで、謝辞がないと売れないというのは、
「読ませる謝辞」であるということを含みつつ、
広く感謝の意を示すことが、著者の配慮や人間性の豊かさを
読者の方々に感じさせる力があるのかもしれない・・・・と思った次第です。


昨日、ちょうど書店で、出版する本と似たような傾向の書籍を何気なく手にしました。
謝辞を読んでみたところ、まさしくストーリー仕立ての謝辞で、
多くの本を読んでおりませんが、私がこれまで見てきた本の中で、
ベストのように思いました。

『数学的思考の技術』 (ベスト新書)  小島寛之 著  


謝辞についてググった中に、
論文の謝辞には、妻への感謝が実に多いとのこと。
結婚前、なぜだろうと思っていたけど、
実際に結婚してみてわかった。
研究者は論文を書くとなると没頭し、家族のことを顧みなくなる。
そのたびに、家庭不和となり、そのあたりの調整のために書いているようなもの・・・・

なんて話がありました(笑)


しかし個人的には配偶者への謝辞は、どうしても
違和感を感じさせられ、私は書くことはないだろうと思っております。


あっ! 新たなテーマ発見?

謝辞分析 をして、様々な角度からマッピングしてみるとか?

マトリックスの縦軸、横軸を変化させると、
面白い傾向が出てくるかも? (笑)

読者、編集者、著者 で切り分けてみたり・・・・


まだ、御目文字させていただいたことはありませんが、
何か、新たなテーマが見つかりましたら、
お声をかけさせていただくことがあるかもしれませんので、
その節はよろしくお願い致します。


ちなみに今回も、あとがきをお渡しした時、
やはり編集者さんから、「謝辞をありがとうございました」という
お言葉をいただきました。

長々失礼いたしました。

書き込み、ありがとうございます。
ご指摘の通り、ストーリーとして完成された謝辞ならば、
いいと思うのですが、そういうのって、かなり少なくないですか?
私が知らないだけ、なのかしら。
そして、やはりまえがき・あとがきって大事なんですよね。

そして、拝読していて一番気になったんですが、
著者さんでいらっしゃいますか? ひょっとして、私、ご挨拶したことのある方でしょうか…。
ちらりとお教えくださいませ。

はじめまして

興味深いお話をありがとうございます。

一読者であった時、あとがきの謝辞というものが大嫌いでした。
はぎはらさんがおっしゃるように、編集者へのお礼なんて、
個人的にすればよいことを、なぜこのような公の場に書くのか不思議でした。

書籍というのは、私たち読者に向けて発行されるもの。
その本にあなたとともにこの本を作り、発行元でもある編集者への
個人的なお礼を載せるのは、おかしいと思わないのだろうか。

そんなこと、読まされたって、私には全く関係のないこと。
ましてや編集者だけでなく、だらだら氏名を書き連ねられた場合には・・・・

そして、これまた、はぎはらさんがおっしゃるように、
自らが発行する立場にある編集者へのお礼が書かれたものを、
自らが発行することに、何の違和感も持たないという感覚もおかしい。
とさえ思っていました。

まあ、これも出版業界のお決まり事。
最後の「お疲れ様でした」的な、〆のご挨拶なのだと理解しておりました。

ところが、この謝辞を実にうまく書かれる著者を時々、見かけます。
一つの読み物、ストーリーとして完成された(?)謝辞を盛り込まれる方です。

私は(たぶん多くの人も)まず本を手にした時、
「はじめに」を読み「あとがき」を読みます。

ここで、最後の謝辞をいかに読ませる文章に仕立てているかで、
大変尊大なもの言いですが、著者の力量を計っているところがありました。

謝辞をうまく書いている著者は、本文の内容にも膨らみがあり充実している。
そう信じて疑わなかった時代があり、
書店の本棚の片っ端から、あとがきを読んで、あなたダメ、あなた〇なんて、
評していたことがあります。

それらを見ながら、もし、この先、自分が本を書けるような機会があったら、
ありきたりの謝辞は絶対に書かない。
そんな、非現実的な、誓まで立てておりました。(笑)

お決まり文句の謝辞なら入れない方がまし。
書くならしっかりストーリー仕立てにして読ませる謝辞を書く。
それが私の謝辞に対する信念でした・・・・(笑)

さて、その信念を形にできる場があったかどうかは・・・・(笑)

書き込み、ありがとうございます。
「謝辞論」に関しては、ツイッターやメールなどでも
感想をいただいております。
ありがたいです。

書き込んでいただいた中で、
ツイッターの件は非常に興味深いご指摘ですね。
たぶん、販売戦略としてツイッターを使っているはずなんですが、それが結果として読者(あるいは読者になるであろう人)を排除している、というご指摘は、
とても重大な指摘だと思います。
私も、気をつけないといけないと感じました。
ありがとうございます。

読者として、編集者さんへのサラリとした簡単な謝辞なら好感を持ちます。


最近twitterでも著者と編集者が出版時の話しをupしているのを見掛けます。

twitterだから何をつぶやいても良いのですが、多くの人を対象として著作物を発表する著者には、特定の個人にRTしているのはマイナス。


読んで楽しめたり、一般的に理解できれば良いのですが、全く他の人には関係ない内輪の話。


twitterは一種仲良しの集まりで、意識することなく排他的になることがあります。


そこに著者と編集者しか分からないことを書き込むのは、「特別な関係」を強調する行為。
読者に壁を作るようなものですね。


出版するまでの苦労話なら、当人同士、メールなり飲んだ時に話せば良いことで、わざわざネット上にupすることはないと思います。

ネットで販売戦略を練るのは良いですが、肝心な消費者がどう感じるかをしっかり見極めないと。


後付けも然りですね。

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